鈴鹿サーキット・日本GP回顧(第2回)

第1回の回顧を書いたのが、9月22日でしたので、だいぶ間隔があいてしまいました。k第2回は1992年からの5年間についてです。
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まず1992年です。この年はN.マンセルのウィリアムズが独走してチャンピオンを決めた年でした。あまり日本GPの印象がないのですが、R.パトれーゼが優勝しています。
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1993年は、結構覚えています。1年間ではA.プロストがウィリアムズで堅実な走りをみせてチャンピオンを獲得しましたが、A.セナのマクラーレン・フォード(!)も非力なエンジンパワーにも関わらず、雨のGPや持ち前のドライビングテクニックで優勝を重ねたように記憶しており、この日本GPもプロストを抑えて見事に優勝しています。セナの勇士が見れた最後の日本GPです。
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1994年からは、D.ヒルvsM.シューマッハの死闘が続いた2年間ではなかったでしょうか。この1994年は雨の日本GPとなり、2ヒート制となったと記憶しています。ですから優勝争いもサーキット上ではなく、時間との争いとなり、D.ヒルが優勝、ミハエルが2位となり最終戦までチャンピオン争いが持ち込まれました。
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1995年は、ベネトンもルノーエンジンを獲得して、シューマッハがチャンピオンを確定した状態での日本GP、ハッキネンが2位、ハーバードが3位と若手ドライバーが表彰台独占のレースでした。
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そして1996年は、シューマッハがフェラーリ移籍で、D.ヒルが悲願の親子2代のワールドチャンピオン獲得、この日本GPでも危なげなく優勝しています。
この5年間の間に、マンセル、プロストは引退、そしてセナは事故死とそれまでのF1を支えてきたエリートが全ていなくなり、シューマッハ、ハッキネン、そしてヴィルニューブをいう新しいヒーローが活躍し始める5年間だったような気がします。そして鈴鹿の日本GPもF1の世界に定着したと思える5年間でした。

写真は http://f1-facts.com/ から

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