1973年 イタリアGP とペテルソン

来週はイタリアGPです。過去にも数々のドラマティックなレースがあったイタリアGPですが、1973年も思い出深いレースとして記憶に残っています。
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この年は、ロータスとティレルがチャンピオン争いをしていました。ロータスは、フィッティパルディ、ペテルソンのジョイントNo.1、そしてティレルはスチュアートとセヴェールの師弟コンビ。
チャンピオンシップは、スチュアートがリードしてイタリアGPで入賞すればチャンピオン決定ということになりました。レースはペテルソンが終始フィッティパルディをリードして優勝、ロータスの1,2位で終わり、スチュアートも4位に入ってチャンピオン決定です。
ペテルソンはイタリアGPとの相性は結構よく、翌年も非力となったロータス72で優勝しています(この年も2位は、マクラーレンに移籍したフィッティパルディというのもおもしろいですね)。
しかし、相性のよいイタリアGPでしたが、1978年のスタート直後の事故で落命してしまいます。この年は数年間の不調から脱出して、ロータス79を駆り、アンドレッティと無敵の快進撃をしていただけに残念です。もし予選でロータス79をこわしていなければ、助かったのではとも言われてますし、事故後の処置が適正に行われていたら命は落とさずにすんだとも言われています。
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タイトルの記事内容がずれてしまいましたが、ペテルソンは好きなドライバーの一人でしたので思いいれもありこのようになってしまいました。ちょうど1978年の秋には日本でF1レースのドキュメンタリー映画が封切りされており、その最初にテロップでペテルソンへの哀悼文が流れていたことを記憶しています。もうあれから30年近くがたっているのですね。

写真は http://f1-facts.com/ から

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この記事へのコメント

2006年09月02日 16:01
私もRonnieは好きなドライバーの一人でした。Sideway Ronnie といわれるようにコントロールの難しいマシンをねじる伏せるような走りがすごかったですね。でもよいマシンには恵まれませんでした。競争力のあったマシンと巡り会ったのは1973年と1978年くらいでしたね。
2006年09月02日 17:09
確かにマシンに恵まれない一面はありました。
ご指摘のように73年と78年はマシンに恵まれましたが、チームオーダーで不遇だったように思います。
マシンを扱う能力はピカイチだと思っていますのでもっといいマシンで自由に走って欲しかったです。

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